デカルトの“我思う、ゆえに我あり”って、何が言いたかったの?

「我思う、ゆえに我あり」──
カッコよすぎる哲学のキャッチコピー。でも、よく考えると「で?」って思ったことない?

今回はこの言葉、アヒル教授と一緒にゆるっと解説します🦆


デカルトは疑いまくった

デカルトさん、フランスの哲学者。彼は「この世界、本当に信じていいのか?」と、ガチで全部疑い始めます。

  • 五感って騙されるよね?
  • 夢の中と現実、区別つかなくね?
  • 神ですら悪い存在だったらどうするよ?(←怖)

そうやって全部疑っていった結果、「あれ…でも、“疑ってる自分”だけは確かに存在してるやん」と気づいた。


つまり「思ってる限り、私は存在する」

「思考してるってことは、少なくとも“思考してる何か”が存在してるやん」

これがつまり、「我思う、ゆえに我あり」
原文だと「Cogito, ergo sum(コギト・エルゴ・スム)」。


で、アヒル的にまとめると?

🦆「考えてる時点で、アヒルとしての自我は生きてるってことやね。」


だから何なの?

この言葉がすごいのは、「世界が嘘でも、最低限“自分”だけは確実にある」と証明したとこ。
つまり「どこから哲学をスタートすればいいのか」の“原点”を示した一撃。


まとめ

  • 「我思う、ゆえに我あり」は、究極の自己確認
  • ぜんぶ疑っても、“思ってる自分”だけは信じられる
  • 哲学はここから始まった(かもしれない)

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